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明日も僕はそう想う

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TKFMのいろいろな日々の雑記。足跡がてらに適当にコメントでもよろしくお願いします。

カテゴリ:映画( 1 )

昨日の夜10時ぐらいにテレビをたまたま付けると、「ブタがいた教室」が放送されていた。

何年か前に一度観たことがあるのだが、“泣ける映画”という、しょうもない理由を前提に観ていたためか、何も感じることが出来なかった。

そして、今回、話の途中からだが最後まで食い入るように観た。

子どもたち(小学校6年生の設定)があれだけ意見を議論出来るのは凄い、1人1人がしっかりとした意見を持ちそれを発言出来ている。

今の大人でもあまり見る事が出来ない光景にただただ関心していた。


そんなディベートを用いた授業を小学校4〜6年にしていたことをふと思い出した。

そう、オータという先生の授業だ。その先生の当時の印象としては…
1.僕らがテストを必死で書いている最中に一点を見つめボーッとしている。
2.日本の歴史1巻をエロ本のように隠れて読む。
3.マーちゃんにイタズラが過ぎるちょっかいを出す。
4.ハゲ
など、思い出せるのはこのぐらい。

そんな担任だったが、授業では新鮮なことが多くて結構好きだった。

作文での書き始めは「ぼくは」「わたしは」じゃない方が文章に魅力がある、夏の風景画を冬景色に変えるなど。

中でも「道徳」の授業が今考えると素晴らしいものだった。

消極的、意見や考えを口に出さない、長いものに巻かれろ…といった、スネ夫以下の性格だった僕にとっては土曜日の2時間目はとにかく恐怖だった。

教科書を段落読み、または、丸読み(句読点までそれぞれが読む)かをする。

音読終了後にその文章に関する意見を挙手制で出していく。

僕は読んだ文章に対して意見はあるが、「(この意見を出したところで、この意見に対して賛同する人がいるのだろうか?居たとしてもこの意見を他の人からバッシングを浴びるに違いない…この意見を貫き通す自信がない…言うの辞めよう…)」と、毎度この考えが頭をよぎる。結果、意見を出さずに他力本願。

大体7〜8の意見が出た所で、それぞれ賛同する意見に挙手をする。

そこで、挙手するのも一つの勝負。

いかに自分が意見を出さずに30分平穏を保っていられるかだ。

クラスには我がしっかりとしている人が数名いたが、その中でもタカフサとマミの意見が芯がぶれてなくて強い。

自分の意見になるべく近い物で、その2人が挙手した方どちらかに僕も手を挙げる。

そして、4つぐらいの意見が残り、グループに別れてディベートがスタート。

道徳においてのマミはとにかく厄介な存在だった。

指名で意見を聞いてくる。

強者の影に潜んでいた僕を見つけだし、「タカフミ君はどう思ってるんですかー?」と。

「(なんだなや!マジがよ!?発言したことで、その意見がこてんぱんにされるのがオチか…無難に言っておこう…)」

など、意見をしたことで平穏が崩されることも怖かった。その後の生活に影響が及ぶのではないかと様々な思いがよぎる。

「…特に…何も…」

と、どもる。

「それじゃ、そこにいる意味がないんじゃないですか?」

決定的な痛恨の一撃が僕を突き刺さり、その場所にいる根底の理由がない僕は意見を変えるばかり。


芯が弱い…ここぞといういう時に意見を口に出して言えない…。
とにかく全てが小さい自分でした。

だけど、そんな自分ではこれから何も出来ないし、もやもやとした人生を送ることになってしまう。

そう感じた僕は根底の弱さという物は変わってないのかもしれないけど、自分の意見を貫き通せるようになった。道徳の授業のおかげでもある。

芯がブれないことというのは大切。

人の意見を受け入れて、しっかりと咀嚼をして自分の意見を昇華させていくこと。

やってはいるんですが、これからずっと僕の課題です。じゃないと、誰も僕についてなんかきてくれないから…。

三つ子の魂百までといいます。3歳までの人格は100歳までの人格。

僕の息子にはどんな意見であれ貫き通すことの出来る芯の強さを身につけさせて行きたい。

「ブタがいた教室」いい映画だった。
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by tkfm510 | 2011-06-18 00:13 | 映画